山本文緒さんの著作もエッセイ除いて全て読んでおります。
前作『なぎさ』から7年振りの長編!
最近の本ではあまり見ないくらいの分厚さで、むしろ嬉しい!

読んだ人にしか分からない感想で恐縮ですが、本と映画の記事は自分の備忘録要素が強いので。

プロローグにミスリードされましたー。
もはや叙述トリックと言ってもよいレベルでは…。いや、ちょっとおかしいなと思ったのですが、この方が小説としては斬新だと思ったので、ミスリードの方を潜在意識的に信じたかったのかも。

このプロローグによって、ほぼ終盤までは傑作だと思ったの。
『若草物語』でローリーが結婚するのはジョーではなくエイミーだと知った時のような、人生って何が起こるのか分からない!10年後の自分がどうなっているか分からないってワクワクしない!?仮に不幸になっていたとしても、それも含めて人生なんて全てネタだよね!と。

が、エピローグであれれ??
ちなみに本編は「小説新潮」で連載されていたけど、プロローグとエピローグは書き下ろしだそうで。
うーむ。本編だけだと、読み応えはありますが、まぁ王道な感じよね。

主人公をかっこつけず、正直に描写しているのが良いです。
主人公の都は茨城のアウトレットモールのアパレルショップで働く(正社員ではない)34歳の女性。
同じモールの回転寿司店で働く貫一と付き合い始めたが、中卒で元ヤンで回転寿司店勤務ということに不安を拭いきれない。

34歳にもなって、すぐに人前で泣く、結構痛い女なのです。

「私は実の親だって心のどっかで疎ましく思ってる。仕事にだって、なんの意欲もない。きっと誰に対しても心からは優しくできない。自分が楽することだけ考えてる。」
と都は自分のことを激白しますが、誰もが多かれ少なかれそうなのではと。

本作を読んで思ったことは、金八先生には申し訳ないけれど、自立していない人間が支え合っても「人」という字にはならず、共倒れするだけだよねと。
自立というのは精神的にも物理的にもという意味です。
だって、都が自立していたら、貫一が中卒とか回転寿司店勤務とか関係ないと思えるはず。
自分が自立していないから、自分自身が不安な訳で、それを相手に埋めてもらおうとするのは双方が不幸になるから止めた方が良い。
この人と結婚したら幸せになれるだろうか?幸せにしてくれるだろうか?という考えは改めた方が良い。

この人といると幸せだと感じるから結婚するのでは?

最後に、小津安二郎監督の「晩春」の周吉の台詞を引用致します。
結婚するから幸せになれるのではない。幸せは二人でつくるもの。