恩田陸さんの『鈍色幻視行』に登場する、飯合梓という小説家の『夜果つるところ』を恩田さんがメタフィクションしたというもの。
『夜果つるところ』は、撮影中の事故により三たび映像化が頓挫した“呪われた”小説という設定だったので、どんな小説か読んでみたいと思っていたので、嬉しい。
が、かなり幻想的な雰囲気の小説で、私にはあまり面白いと思えなかった。
(現実では、これを映画化しても全くヒットしないだろうなと。)
遊廓「墜月荘」で暮らす「私」には、三人の母がいる。
日がな鳥籠を眺める産みの母・和江。身の回りのことを教えてくれる育ての母・莢子。無表情で帳場に立つ名義上の母・文子。
ある時、「私」は館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。
着流しの笹野、背広を着た子爵、軍服の久我原。なぜか彼らに近しさを感じる「私」。
だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりだった。
莢子の台詞が良かった。
「男のひとは、人殺しのことをそりゃ手を替え品を替えいろんな言葉に言い換えるものよ それが、今回はたまたま革命って言葉だったってことね」
ゼレンスキー氏が、どうしたら戦争を無くせるかとスピーチしていましたが、この世から戦争を無くす唯一の、しかしながら不可能な方法は、男が絶滅することだと思う。
『夜果つるところ』は、撮影中の事故により三たび映像化が頓挫した“呪われた”小説という設定だったので、どんな小説か読んでみたいと思っていたので、嬉しい。
が、かなり幻想的な雰囲気の小説で、私にはあまり面白いと思えなかった。
(現実では、これを映画化しても全くヒットしないだろうなと。)
遊廓「墜月荘」で暮らす「私」には、三人の母がいる。
日がな鳥籠を眺める産みの母・和江。身の回りのことを教えてくれる育ての母・莢子。無表情で帳場に立つ名義上の母・文子。
ある時、「私」は館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。
着流しの笹野、背広を着た子爵、軍服の久我原。なぜか彼らに近しさを感じる「私」。
だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりだった。
莢子の台詞が良かった。
「男のひとは、人殺しのことをそりゃ手を替え品を替えいろんな言葉に言い換えるものよ それが、今回はたまたま革命って言葉だったってことね」
ゼレンスキー氏が、どうしたら戦争を無くせるかとスピーチしていましたが、この世から戦争を無くす唯一の、しかしながら不可能な方法は、男が絶滅することだと思う。