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カテゴリ:本(日本人作家) > 津村記久子

津村さんの前作『水車小屋のネネ』は自身最長編かつ最高傑作でしたが、その反動なのか、本作は何かのノベルティみたいな冊子の中編。
ただし津村さんの持ち味は遺憾なく発揮されております。

四年ごとに開かれる会社の代表選挙で、上位二名による決選投票が行われることになったが、「控えめに言って、どっちもくそ」。

両陣営からの運動員の送り込み、ハラスメント手前の圧力、上司からの探りという社内政治の面倒臭さが描かれています。

あー、分かる分かる。
いやマジで本当に分かる。
それでも明日はやって来て、会社に行き、生きて行かねばならないんだよ。

小山田浩子氏の書評には、「それは諦めではなく希望なのだ」と書かれていましたが、私は希望とまでは思えなかったけど、とにかく〈みんな、それでも生きて行かねばならない〉という同士的な励ましは感じられました。

2021年9月に『つまらない住宅地のすべての家』を津村さんの最高傑作と書きましたが、超えてきました。
毎日新聞で連載されていたそうですね。
でもこれは単行本で一気に読みたい。

子供達より男を取った母のもとを飛び出し、姉妹で生きることに決めた18歳の理佐と8歳の律。
理佐はとある町の蕎麦屋で働き始めるのですが、そこには水車小屋の番人を務めるしゃべる鳥・ヨウムのネネがいて…。

1981年、1991年、2001年、2011年。
ネネに見守られ、助け合い支え合う人々の40年間を描いております。

私、ヨウムが大好きなのですよ。
(いつか飼ってみたいと思っていたけど、ヨウムの寿命は50年なので、無責任なことは出来ないし、本作を読んでヨウムに興味を持ったとしても、お願いだから安易に飼わないで欲しい。)
という贔屓目も少しあるかもしれませんが、素晴らしい作品です。

お涙頂戴ものではありません。
なのに泣ける。

ネネにはずっと生きていて欲しい。
どこかにネネとこの町の人たちがいて欲しい。
彼等の幸せを願わずにはいられない。
そんな気持ちになる小説です。

とにかく読んで欲しい。
いま深夜に思い返しながらこれを書いているだけで号泣しそうになっている。


津村さんによる世界文学案内。
92作品が掲載されています。

私は子供の頃から小説好きで。
二宮金次郎のように歩き読み(歩きスマホがダメなのだから、こちらも褒められることではないが)しながら下校していたし、読む本がなくなると国語の教科書を読んでいた。(だから1学期早々に教科書を読み終わっていた…。)

小学校4年生の時に読書日記を自由課題に選んだのだけど、読む本がなくなると、架空の小説の感想を書いていた。タイトルも作者名もストーリーも私の勝手な創作で、さらにそれに対する感想を挿絵付きで書くという。当然ながらすぐに先生にバレて怒られたのだけど、もしあの先生がその想像力を褒めてくれていたら、私は作家になっていたかもしれない。

同様に幼稚園の写生の授業でチューリップの絵を描いた時のこと。私は絵が得意で、その頃からベタ塗りしたりせず、花びらの筋まで描くレベルだったのですが。私の画角では葉っぱが1枚しか見えなかったので、葉っぱを1枚しか描かなかったら、先生から「葉っぱ2枚あるでしょ!」と怒られたので、「この角度からだと1枚しか見えない」と返したら、「生意気!」って言われたのだよね…。今でも鮮明に覚えている。もしあの先生が(以下同様)

ものすごく脱線しましたが、こんなに小説好きの私でも、津村さんが挙げた92作品の半分くらいしか読んでおらず、落ち込みました…。
が、津村さんも元々読んでいた訳ではなく、この連載のために読んだ本も結構あって、少しほっとした。(何のマウンティングなんだ…)

サマセット・モームは『人間の絆』でも『月と六ペンス』でもなく『アシェンデン』だし、モーパッサンも『女の一生』でも『ベラミ』でもなく『脂肪の塊』だし、コアな選書だなぁと思ったけど、それが逆に良かった。
(過半数の人が読んだことがあるの92作中でディケンズの『クリスマス・キャロル』くらいだと思う…)

文庫本の巻末にそのレーベルの文庫リストが掲載されていますよね。
私はあれを眺めるのも好きで。読んだことのない本のタイトルとあらすじから内容を想像するのって楽しくないですか。

津村さんて文章がとても上手だし、適宜毒っ気もあるので、読みたくさせるなぁと。
取り急ぎ、レイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』を入手しましたよ。

それにしても人生一回では足りない。読みたい本が読み終わらない。
いくら私がコンプリート強迫症だとは言え、岬洋介シリーズ以外ほぼ毎作酷評している中山七里を読んでいる暇無いと思ったね。

8つの短編が収録されています。

津村さんの小説は、仕事や日々に疲れている登場人物が多く、「私だけじゃない!みんな大変なんだ!」と励みになることが多いのですが、今回はちょっと大げさではないかと思う主人公が多かった。
その程度で、何もする気が起きなくなる・・・?何も食べたくなくなる・・・?

私もこの2年間、パワハラ&モラハラ上司に苦しめられ、原因不明の湿疹が出て、右耳(奴の席が私の右だった)だけ耳鳴りが止まらず、右半身だけ痺れ、不眠に陥り、こんなに食べているのに何故か4キロ痩せたりしましたが、休日はグルメ・映画・読書・バレエ・旅行と満喫していたから、そうは言ってもメンタル強いのかもしれない。
呪いの藁人形アプリをインストールし、毎晩、奴の家にテポドンが落ちますようにと念じましたけどね。
最後に飛び蹴りしてやればよかったと後悔している。

話が逸れましたが、A群・B群を描いた「牢名主」という短編が面白かった。
A群の人はB群の人に近づき、あれこれ心配している風を装い世話を焼いてくる。
B群は人の好意を無下にできないとA群を受け入れてしまう。
そしてA群はB群を精神的に支配していくと。

私は大げさに心配してくる人が苦手ですね。
しまいには、この人は私の不幸を望んでいるのではないか?と思ってしまう。
「えー!〇〇さん(私)にそんな仕事させるなんてもったいない。バイトでも出来ることじゃないですかー」というのも新手のディスりだと思う。
ちょっとA群とは違うかもしれないけど。

津村さんの短編集です。

どの話も、きっと私があらすじを説明したら、ふーんという反応が返ってきそうな、どうということもない話なのですが、でも、突然、号泣しそうになるんですよね。

私は表題作の「サキの忘れ物」を読み終わった後、急に何かが込み上げてきて、夜中に号泣しそうになりました。

どの話も、居場所がない、浮いている、生きづらいと思っている人たちが、ほんのささやかなことで、一歩進みだすお話です。

津村さんの最高傑作ではないかと思います。

舞台は、とある地方の住宅地の路地に面した十軒の家。
それぞれの家にはそれぞれの問題や悩みがある訳です。

それぞれの家の事情と並行して、刑務所から脱走した女性受刑者の話が描かれ、やがてこの十軒の人々とリンクし収束していきます。

津村さんの小説は、良い意味で、行間のある文章だなと思っています。(スカスカということではない。)
ただし本作は、ミチミチている。
と言っても、平野啓一郎さんの小説のようなミチミチ感ではなく、行間があるのにミチミチている。
読後感も良かった。

つまらない人生なんて一つもないということですよね。

朝日新聞の金曜日の夕刊に連載されていたそうですね。
単行本化にあたり大幅に加筆されたようですが。

サッカーJ2の最終節の試合を迎える22チーム・22人のファン達の群像劇です。

職場の先輩からパワハラにあっている人、憧れの先輩に近づくため観戦し始めた人、当たり前ですが、22人それぞれに人生があって、それぞれに思うことがあってこの日を迎えています。

個人的には、夫の死後、夫が某チームのファンであったことを知った女性が、そのチームの試合を観に行く話が印象的でした。

私はサッカー全く分かりませんが、きっと、J2というのもポイントなのでしょうね。



7つの短編が収められています。
異なる文芸誌に初出されたもので、連作ではないのですが、読後感みたいなものが共通しています。

印象的だったのは、死後の世界を描いた2篇。

「地獄」
バス事故で死んだ「私」と親友のかよちゃん。
「私」は「物語消費しすぎ地獄」に、かよちゃんは隣の「おしゃべり下衆野郎地獄」に落ちます。
「私」は生前、ピーク時には一日にドラマを最低三本は観て、ドキュメンタリーも一本観て、映画は週に三本観て、小説は月に十冊読んで、マンチェスター・シティとシャルケ04とアスレティック・ビルバオとセレッソ大阪のし合いの放送は欠かさず観戦し~という生活を送る、しかも作家だったのですね。
それぞれの地獄でのタスクが面白いです。(タスクという表現も面白い。)
「私」は、最後の数ページが破りとられた長編ミステリーを毎日読み続けなければならなかったり、母親(プロではない)が書いた小説を読まなければならなかったり、有名な映画の俳優やサッカーの伝説の試合の選手に成り代わって、暗殺されたり頭突きをさせられたりします。
かよちゃんは分かりやすく、誰とも喋ってはいけないタスクを背負わされます。
私も「物語消費しすぎ地獄」に落ちるかもなぁー、もしくは食べ物が目の前にあっても食べられないタスクとか?

浮遊霊ブラジル」
表題作です。アイルランドのアラン諸島への旅行を夢見ていた主人公が、旅行目前で急死してしまいます。

成仏できず幽霊になった主人公は、乗り物には乗れない(すり抜けちゃう)が、他人に乗り移れることに気付きます。
なんとかアイルランドへ行こうと商社勤務の人に乗り移りますが、アイルランドに行くチャンスが来ず、やや投げやりにブラジル人に乗り移り、ブラジルに渡ります。
最後、主人公がアイルランドに行けるのかどうか…って、最後って、この主人公もう死んでいるんだった!と気付きます。

上記2篇に出てくる3人は、既に老人という年齢で亡くなり、現世に未練を残しつつも、置かれた現実に慣れていきます。
その慣れていく感じが、ホッとします。
死んだら終わりではなく、その先がこんな風だと良いなぁという温かい気持ちになれます。

打ち込み過ぎて燃え尽き症候群になり前職を辞めた36歳の主人公が、職業安定所で紹介された5つの仕事を通し、再生していく話。

この5つの仕事というのが、ファンタジックで面白いです。
①隠し監視カメラでとある作家の行動を見張る仕事
②バスで流す店舗等の広告アナウンスを考える仕事
③おかきの袋の裏に載せる豆知識を考える仕事
④家の壁にポスターを貼らせてもらうor貼り替えさせてもらえるよう住人に頼む仕事
⑤広大な森林公園内の端っこにある小屋にたった一人詰め、午前と午後、森を見回る仕事

一見どれも楽しそうな仕事に思えますが、さすが津村さん。
それぞれの仕事の喜びと苦悩を描き出します。
そうだよね、この世にたやすい仕事なんてないよね、って心底思えます。

でも、ハタと気付きました。
この主人公は、基本的にとても真面目で、どの仕事に就いても一生懸命働き、+αで仕事をするのです。
④の上司に、「あなたがそこまでする必要はないんですよ?」と言われた主人公は、「でも仕事ですから」と答えるのですが、それに対する上司の返答がふるっています。
「仕事だからですよ」と言うのですね。
つまり、「この世にたやすい仕事なんてない」というのは厳密には正確ではなく、どんな仕事も一生懸命やろうとすると大変だということ。

ラスト、主人公が大学卒業以来14年間邁進してきた仕事が何だったのか分かるのですが、なるほどねーと。
真面目な主人公にピッタリだし、きっと自分を追い込んじゃったのだろうなぁというような職業なのです。

ちょっと話が脱線しますが。
私はブログのタイトル通り、仕事が好きではありません。
でも責任感は強い方で、怒られるのが苦手なので、あらゆるリスクを想定し、失敗しないよう周囲に迷惑をかけないよう仕事をしています。嫌々。
この世の中には、「この仕事が好き」ではなく、「仕事が好き」という稀有な人がいて、この仕事があるから残業するのではなく、毎日これくらいまで会社にいると決めて残業している人がいますが、私には全くもって信じられない。他にやりたいこと無いのかね!??
私、何だったら専業主婦になりたいくらいなのです。
周囲には退屈するよ?と言われますが、え?退屈ってなんで?
バレエのレッスンを週3に増やして、もっともっと本を読んで、もっともっと映画を観たい。
中途半端になっている英語の勉強とピアノのレッスンも再開したいし、退屈なんてする暇無いけどなぁ。
それでも歯を食いしばって働くのは、旅行とグルメのためざんすよ…。
こんな社員、私が社長なら要らないなぁと自分でも思うよ。

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