趣味の為に生きて行く。

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タグ:金原ひとみ

私にとって生きることは周りを気にするということと同義で、
それがない生など考えたこともなかった。

そんな真野が、コロナで派遣切りに遭い、辿り着いたのがイタリアンレストラン「フェスティヴィタ」だった。
そこには個性豊かなバイトメンバーがいて…。

真野の視点でバイト仲間との日々を描いた連作短編小説です。

真野は自分のことをウルトラノーマルだと思っているけれど、真野の心情はすごく面白くて。
これを全部、ちゃんと口に出せば良いのになぁと思うけれど、どんな人でも頭の中でぼやっと考えていることを文字に起こしたら、句読点無しの金原節になるのかもしれない。


金原ひとみさんは、宮部みゆきさんのようなストーリーテラーではない。
でも唯一無二の描写ができる作家さんである。

本作は、陽キャの14歳レナレナが高校生になるまでを描いた青春小説で、なんてことのない日常なのだけど、中学生ってこうだったよなぁと。台詞と心情描写が素晴らしい。金原さんも40歳になるというのに、何故こんなにリアルに描けるのだろう。

ホーム社って何?と思ったら、集英社グループなのですね。

タイトルの「デクリネゾン」はフランス語で〈様々な調理法でひとつの食材を活かすこと〉という意味で、確かに私も鴨のフォアグラのデクリネゾンなど食べていました。

本作の紹介で、〈仕事、家庭、恋愛の全てが欲しい女たちとその家族的つながりを描いた最新長編〉とあるのだけど、ちょっとニュアンスが違う気がする。
こんな「VERY」(雑誌)みたいな明るい感じじゃないのよ。
むしろ瀬戸内寂聴的な。

以前、友人が、不倫というものに憤慨し、「不倫するくらいなら結婚しなきゃいいのに!」と言っていたのだけど、結婚しても不倫したるぜ!と思って結婚する人は少ないと私は思うんだよね。
身も蓋もないけど、どうしようもなかったという気持ちではないでしょうか。

本作も同様。
金原さんはモヤモヤした感情を文字に出来るのが本当に凄いと思う。

一つだけ気になったのは、登場人物が全員「ら抜き」で喋ること。
今風の若者で、「ら抜き」の方がむしろ自然に感じるという設定なら、意図してやっているなら良いのだけど。
作家や編集者も「ら抜き」なのだよね。これは気になるなぁ。編集者は何も指摘しなかったのだろうか。


金原さんは文章が巧いなぁ。
ストーリーテラーだとは思わないけど、一文一文が濃い。
私は本を読むのが速くて、1冊2時間くらいで読み終えるのですが、金原さんの小説は一文一文を味わいたく、いつもの倍以上かけて丁寧に読みました。

5篇の小説が収録されています。

読み終わって最初に思ったことは、人間はなんと不自由な生き物だろうかということです。
どの主人公も、編集者・クリエイティブディレクター・化粧品メーカー・翻訳家としっかりした職業を持っているのに、男に翻弄されまくっている。
人間はそんなに孤独なのか?寂しくてならないのか?一人では生きられないのか?

10歳以上年下の彼氏が出来た途端、自分の老化が気になり、プチ整形に依存していき、結局、自分から別れを告げてしまう主人公を描いた話が一番印象に残りました。

いつ若い恋人に振られるのだろうという不安で自爆してしまったということですね。
むしろ別れを告げてホッとする自分がいる。
もうこれで、いつ振られるのだろうと不安にならなくて済む!と。

金原ひとみさんも好きな作家さんの一人で、著作は全て読んでおります。

主人公は3人の女性。
独身でフリーライターの美玖、28歳。
既婚で子持ちの弓子、雑誌編集者の38歳。
既婚で子持ちと二人に言っているユリ、インテリアデザイナーの32歳。

3人は仕事が縁で知り合い、定期的に飲んでは赤裸々なトークを繰り広げる。

美玖は不倫相手の妻に訴えられる。
弓子は夫に不倫され、離婚を要求される。
ユリは自由奔放に男と付き合うが、夫とは離婚しているのか何なのか二人にも本当のことを話さない。(読者の我々も真相は分からない。)

まぁ、トークが赤裸々なのと、言葉遣いが下品。
ここまで書くか!というのが金原ひとみさんの凄さだなと思うので、その点について批判するつもりは無いのだけど、私の周囲にこれだけ下品な言葉遣いをする女性が一人もおらず、またレストランで隣のテーブルになった他人からも聞いたことがないので、こういう人達ってどこにいるのだろうとは思いました。

本作は、色々な生き方があるな、という読み方もできますが、それに加え、人間関係について考えさせられます。
3人とも赤裸々なトークをしつつも、相手を信頼しておらず、友達とも思っているか甚だ怪しい。相手のこういうところが嫌なんだよな、と思いつつも、定期的に集まってしまう。
うん・・・分かる。

綿矢りさの新刊も金原ひとみの新刊も集英社からだ。
頑張っているね。

望んで結婚したのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。

という帯の惹句は秀逸。

なのですが、登場人物の殆どが一般人と乖離していて共感しにくい。
残念。
『マザーズ』くらい一般に落とし込んで欲しかった。
これだと「そりゃ苦しいよね、だってアンタおかしいもん」としか思えん。

朝日新聞で同時期に綿矢りさと金原ひとみの小説を連載していたのでしょうかね。
同時期にお二人の小説が刊行されています。

私はずっとママの魔法にかかっていた。
ママの全然素敵じゃない魔法にかかっていた。

姉妹ものの表装をしつつ、母娘ものであると私は思います。
作家の母を持つ、理有と杏。
ママに執着し、ママを支え、家事を全部こなしてきた姉の方が直接的な被害者に思えますが、そんな母と姉を見てきた妹もやはり闇を抱えています。

ママの世界にあったのは、
小説が完成していない世界と、小説が完成した世界だ。

最近、虐待のニュースを見るたびに思うんです。どうして母はこういう分かりやすいのじゃなかったのかなって。

母が私たちの健やかな成長や私たちの幸せを心から望んだことは一度もなかった。
私たちの笑顔が彼女を幸せにしたことは一度もなかった。
いつも母はどこか遠くの方を見てて、私たちのことなんて全然見てなかった。

理有ちゃんはこの強烈に普通な人と幸せになれるんだろうか?
どうしようもない駄目人間だったママを支え続けてきた理有ちゃんが、この普通そうな人と幸せになれるんだろうか。
この人のために死んでもいいと、思うだろうか。
それとも、理有ちゃんの幸せは、この人のために死んでもいいなんて思うことのない世界に生きることなのだろうか。

本当に本当に、親が子に与える影響は計り知れない。

最近、20年近く会っていない幼馴染のツイッターを見つけてしまったのですが、40歳近くなってもいまだに!?と思う程、母親への呪詛が書き連ねてあって、ものすごく混乱しました。
彼女のお母さんは有名なファッションエディターで、友人の自慢のお母さんで、私の憧れでもありました。
(今思うと、当時、お隣さんは脚本家で、同じ階に住む友人のお母さんはファッションエディターで、少なからず私に影響を与えているなと思います。)
この小説に出てくる姉妹の母親と重なります。

人が人に与える影響の大きさに恐ろしくなることがあります。
だからこそ人間は進化してきたとも言えるし、とても面倒にも思えます。

私自身は、この人のために死んでもいいなんて思うことのない世界に生きたいです。

金原さんの新刊です。
金原さんの小説も全て読んでいます。

成功した年上の夫と幼い息子と共に高級マンションに暮らし、自身もスタイリストという好きな仕事をし、子供の面倒は毎日ベビーシッターさんがみてくれる。
絵に描いたような幸せな暮らしをしつつも、そんな自分をどこか他人事のように見ている主人公・カナは、10歳も下の実の甥と関係してしまう。

カナには、10代の頃、愛と憎しみの果てにストーカーと化した元恋人に刺されたという過去があり、故に達観してしまっているというか、俯瞰しているというか。
実の甥と不倫をしながらも、「人生って意外と破滅しないな」と他人事のように思っている。

万人にお薦めできるような内容ではないのですが、一人の人間の混沌とした思考を文字で表現できるというのは凄いなと思います。
私、実は映画も小説も一番重要なのはストーリーではなく、映画は映像での表現、小説は文字での表現だと思っているのです。

本作を読んで思ったこと。
逆説的な感想ではありますが。

自分の人生が、配偶者だったり仕事だったりという一つの事象だけで完全に損なわれるということは無いということ。

例えば、配偶者に浮気された場合、人生おしまいのような気持ちになると思いますが、そんなことだけであなたの人生が完全に損なわれることはないんだよということ。

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